−第1回−   18世紀のハイビジョンデバイス、
”西洋製眼鏡絵と覗き眼鏡”のこと
ここに掲載してある写真や図1の版画を見て”あー眼鏡絵と覗き眼鏡だ!”と分かった方は、この方面に明るい方だと思います。今から7、8年前にオランダから仕入れて国内の博物館、コレクターに納めたものです。


図1 「高野の玉川」
ところで、図1の版画は有名な浮世絵師・鈴木春信(明和7年・1770年没)の「高野の玉川」と言う作品です。画中に写真と同タイプの覗き眼鏡(”覗きからくり”とも呼ばれた)が描いてあって、その前に禿(かむろ)がチョコンと座っていて、そばの太夫とおぼしき女性と絵を覗いて見た感想でも話し合っているのでしょうか。なんとも楽しい情景の作品です。この版画から分かる通り、眼鏡絵と覗き眼鏡は江戸時代にはすでにオランダや中国からもたらされていたのです。そしてこの覗き眼鏡などの新しい視覚装置や、遠近法を駆使して描いてある眼鏡絵などの風景銅版画が、当時の美術界というか絵師の世界に与えた影響は”殊の外”大きかったのではないかと思います。このことはこの装置を実際に覗いてはじめて”実感”出来ることと思います。


覗き眼鏡
この装置の使い方は写真や図1にあるように、覗き眼鏡の下に置いた絵(これを眼鏡絵という)を45度に設置した鏡面に映して、この映った絵を凸レンズで拡大して鑑賞するものです。レンズを覗いた瞬間、眼前には迫力のある新たな視覚の世界が展開します。ヨーロッパの街並や庭園風景、バタビヤの港町、中国の古寺など各地の風景が色鮮やかに広がります。なかには、当時のプラネタリウムといえるような、天体を描いたものなど、自然科学関係のものも少なくなかったようです。正に18世紀のハイビジョンデバイスと言えるものだと思います。


ストーペンデール・D
アムステルダム1700
ところで、この覗き眼鏡は1780年頃のものでフランス製です。本体の寸法は高さが約63〜70cm位で、レンズの高さは自在に調整できる作りになっています。本体とそれを支える下台は直径約20cm位の円盤状で真ん中に雌ネジが切ってあって、ここに本体の支柱の雄ネジをねじ込んでしっかり固定できるようになっています。また、レンズ枠と鏡は一体になっていて、支柱から抜けるので、分解して持ち運びできる作りです。レンズの内枠はトネリコ材を使っているものが多いようです。ご存知のようにトネリコ材は野球のバットにも利用されています。高級品になると金、銀や象牙の象眼装飾を施したものもあります。また、覗き眼鏡(または覗きからくり)には2タイプあって、ここで紹介しているのは反射式と言われるもので、他に直視式と呼ばれるものもあります。今でもどこかの骨董品店か、あるいは皆様の家にも、もしかしたらあるかもしれませんね。眼鏡絵は遠近法を駆使して描かれており、エングレービングという技法で彫った銅版画を手彩色したものが多いようです。


長崎出島
ところで前述の春信に弟子入りして、浮世絵師名、鈴木春重で活躍していたのが、のちに江戸の洋風画の先駆者として知られた司馬江漢(1747〜1818)でした。江漢は平賀源内などの影響を受けて洋風画の研究を始めたといわれております。江漢はまた1784年に覗き眼鏡の詳しい手引書なるものを著しております。そしてこの江漢に、領主・松平定信の命により銅版術を学ぶため、一時師事したのが、私の町のとなり町、岩代国須賀川(現須賀川市)の亜欧堂田善(1748〜1822)でした。この”一時”とは理由あって破門されたためのようです。田善はこの前に定信の命により、谷文晁に弟子入りしています。文晁は西洋画を研究してその技法を積極的に作品に取り入れた、当時最も進んだ画家だったようです。その後田善は定信やまわりの蘭学者の協力を得て、ついに銅版画と油絵を習得して、江漢以後、江戸の洋風画の代表的な存在となったのでしす。その努力は、まさに東北人の辛抱強さを遺憾なく発揮した好例ではないかと思います。


覗き眼鏡を楽しむ
フランスの親子
当時の田善の腐食銅版画の技量はトップレベルであり、そのことは幕命で制作された「新訂万国全図」など、また江戸や郷里の風景銅版画の作品群を見れば明かではないかと思います。田善をはじめ、多くの優れた芸術家を輩出していることは、福島県人の誇りとするところです。また、他の浮世絵師達も「覗き眼鏡」やそれに付随する眼鏡絵、輸入風景銅版画などを研究して西洋画のもつ遠近法や陰影法といった合理的視点を体得しようと努力していたのでした。そのことは、浮世絵の中に「浮絵」(または絵が画面の奥に窪んで見えることから”窪み絵”ともいう)と呼ばれる西洋の遠近法を取り入れた絵の発生でも明らかです。ただ、はじめの頃は遠近法の習得にかなり苦労していたようです。これについて一例をあげてみたいと思います。羽黒洞発行の図録に「浮世絵肉筆名品展」がありますが、その中に作者不詳で室内遊楽を描いた作品があります。この絵をよく見ると、左側の室内の様子はすっきりと遠近法で描いてありますが、右側、つまり隣の部屋と屋外の風景は従来の描き方になっていて、この新旧の描写の取り合わせがこの絵に一種独特な雰囲気をもたらしています。このように、いつの時代も新しいことを消化するまでは大変な努力が必要のようです。こうして西洋画法を体得したことが、のちに浮世絵の風景版画の隆盛につながったと言われております。


ブックタイプ・覗き眼鏡
以上、今回は西洋製眼鏡絵と覗き眼鏡のことから、西洋画法の遠近法、陰影法の技術が”国産化”される過程のほんの一端を垣間見たことを述べたに過ぎませんが、私共(現代浮世絵画家・渓斎欣士とその画商)のように江戸の浮世絵の御陰をこうむっている者として、西洋画法の習得にかかわった洋風画家と共に、余り世に知られていない浮世絵師達のことも思い出され、共に顕彰したく拙い紹介をした次第です。長々ととりとめのない紹介文になってしまいましたが、これをきっかけにこの分野に興味をもって頂ければ幸甚に存じる次第です。(美術部)

主な納品先 神戸市立博物館
江戸東京博物館
長崎県立美術博物館
日本浮世絵博物館 他
参考文献 福島県立博物館「亜欧堂田善とその系譜」
須賀川市歴史民族資料館「亜欧堂田善展」
                「江戸の和蘭人 亜欧堂田善」
渇H黒洞「浮世絵肉筆名品展」
日本浮世絵学会「浮世絵学」
PAULUS SWAEN OLD MAPS AND PRINTS「THE MAPPING OF JAPAN」

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